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小説「なばなの絵描き」

小説書いてみました。

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なばなの絵描き.pdf

[注意事項](下記載の本文、pdfファイル共)
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・無断投稿禁止

コメントがありましたら、コメント集約・ネタバレ防止のため、あとがきの方へお願いします。

本編
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なばなの絵描き

川上 清


うちの近所には、なばなで有名な植物園がある。植物園といっても、無表情なビニールハウスや堅固な園芸施設で覆われた堅苦しいところではなく、青空の下一面に好きなだけ咲いているような、そんな自由の楽園みたいな場所だ。

ある日の朝、小学生の娘が行きたがっていたので、私と旦那と娘の三人でその園に出かけた。休日だったし、歩いてい行けるくらいの近さだったのでちょうど良かった。

その園には人がまばらに歩いていた。そんな中を私たちは三人でぐるっと一周し、暖かな日差しをじいっ、と浴びているなばなの群生を楽しんだ。

そして出入口まで戻って来た。

娘がお土産を買いたがっていたので、近くにあった売店へと入った。

売店は外見こそ質素だったが、中は広く、木で造られた感じに思わず見とれてしまそうな素敵な作りだった。中には誰もおらず、静かに流れるBGMが店内に心地よく広がっていた。

娘はお土産を見て回ったが、そのうち、店内に飾ってある一枚の大きな絵が気にかかったようだ。レジの後ろ側、レジに並ぶ人がちょっと見上げれば見えるような高さのところに飾ってあった。

レジにはちょうど店員さんがおらず、カウンター越しにその絵全体が見れた。

その絵は大人が両手いっぱいを広げたくらいの大きさで、なばなが一面に広がっていた。風景からして、このなばなの園のどこかからの眺めであることに間違いなかった。

ただ、その絵は明らかにおかしいところがあった。絵の右半分と左半分とで描き方が全然違うのだ。

右半分はかなり繊細な感じで描かれていて、色もかなり薄かった。それに比べ、左半分は力強さと素朴さを感じさせられるような描き方をしていた。

旦那は絵にすら気づかない様子で店内をぶらぶらしていた。私と娘はその絵に思わず見とれてしまい、娘は絵に釘付けに、私は絵と、絵に見とれる娘とを少し遠くから交互に見ていた。

そして、ちょっとするかしないかの内に店員さんがカウンターにひょっこり戻って来た。社会人になって二、三年くらいの、そんな若い男の人だった。

店員さんはレジの奥をじいっと見つめる娘を見ると、そっと自分も絵に振り返った。そしてそのまま娘の方へと姿勢を戻す。

娘と店員さんとの目がちょっと合ったところで、娘と、それから私自身も疑問に思っていたことを娘はその若い店員さんに聞いた。

「ねえ、なんであの絵って右と左とで違うの?」

若い店員さんは自然な笑顔を見せると、私たちしかいない静かな店の中で話し始めた。

「ああ、それはね――」



本田薫(かおり)と山原純(じゅん)がなばなで有名なこの植物園で初めて会ったのは薫がまだ小学一年生のときだった。

薫が家族と一緒にこの園に来て、ちょうど一人で園内をふらふらと歩いていた時だった。ちょうど野球の試合を見ているような開けた場所に、純は大きなキャンバスを広げ、一心不乱にやや遠くに広がるなばなの群生を描いていた。

薫はそっと近づき、「何描いてるの?」と声をかけた。

純は半ばびっくりして声のする方を振り向いた。

すると、そこには純の膝くらいまでの高さの女の子が興味津々の目をして立っていた。おかっぱの髪で、目の大きさがうまい具合に幼さを醸し出していた。天真爛漫な、そんな感じだった。

純は、そんな女の子を見ながら、

「ああ、これね。絵を描いてるんだ。ちょうどこっから見える風景を描いてるんだよ」

といった。

女の子は「ふーん」といって、描いている途中の絵をじいっと見つめ始めた。

純が絵を描き始めたのはそんなに昔ではない。今から二、三ヶ月前のことだった。絵も周りから褒められるような出来には程遠かった。

純は既に三十歳を迎えて、いわばおじさんの面になり始める頃だった。普段はあまりしゃべらず、はたからみると暗い雰囲気を出していた。ただ、しゃべらない訳ではなく、話しかけられると普通に話すことができた。

女の子はキャンバスを指差しながら、話しかけた。

「これってここから見た風景描いてるんでしょ?」

「そうだよ」

「なんかこの辺ずれてない? 色もなんか違うし」

「ああ、そうだね」純は苦笑しながら答えた。なばなが水平に咲いてるところは上手く描けているが、だんだん下がってくるように咲いているところを見ると、絵の方はどこからかずれてしまっていた。

女の子はまだ絵を見ている。

「ねえ、これって一日で描いてるの?」

「違うよ。何日もかけて描いてるんだ」

女の子は少し考え、

「じゃあ、毎日描いてるの?」

「……そうだよ」

「ふーん」

純は毎日ここへ来て絵を描いていることの意味を悟られたかと思って一瞬ひやっとしたが、女の子は何も思っていないようだった。こんな三十歳くらいの男が毎日ずっと絵を描いてるなんて、絵描きか人生諦めたやつのたいていどちらかだ。それを考えて欲しくなかった。

純がそういうことを考えているのを知ってか知らずか、女の子はそれからだまって純が絵を描いている様子をじいっと見ていた。それも飽きる気配が全然なく、いつまでもそこにいそうなくらいだった。

やがて女の子を探す声が聞こえてきた。

女の子は声のする方を一瞬見、それから純の方を見た。

「ねー、おじさんのお名前は?」

「僕? 僕は山原純」

女の子がその名を何度も口ずさむのを待ってから

「お嬢ちゃんのお名前は?」

「あのね、薫。本田薫。このあたりに住んでるの」

そういうと、薫はその場をそっと去って自分を探す声の方へと走っていった。

それからというのも、薫はちょくちょく遊びに来てくれていた。それも家族と別々に行動するときに絵を見に来るせいか、いっつも一人だった。そして、純が絵を描いているのをいつもじいっと見ては、いつも時間が過ぎていった。

純が描いている風景は、いつも同じ場所からの眺めで、いつも同じだった。だから似たような絵が何枚もあるのだが、それでも女の子は構わずにじいっと見ていた。

雨の日にも来たことがある。雨の日は外で絵が描けないので、屋根のあるところでそのへんにある物を手当たり次第に描いていた。柱だったり皿だったり、いろいろ描いていた。

そのときはスケッチブックにデッサンしているだけだったので、画用紙と鉛筆一本だけあればとりあえず何か描けた。

薫は何もいわなかったが、顔に『私も描きたい』と書いてあったので、画用紙と鉛筆を貸してやった。

一番初めに貸したときはやはり小学生が描くような絵だったが、いつの頃からかそれこそデッサンになっていた。

そうしている内に、いつの間にか時が過ぎていった――。





薫が中学生の頃――。

久しぶりに植物園に来てみると、純はまた同じ場所に同じようにいた。中学生になってからは薫は一人でこの園に遊びに来ている。

薫が小学生のときよりも純の顔は多少老けていたが、キャンバスを見つめるその目は相変わらずだった。遠くのなばなを見つめながら、ただひたすら描き続けていた。

そんな純を横目に、薫は自分用のキャンバスと折りたたみイスを準備していた。家の中で絵を描きたくっている様子を見た両親が、家の中のものだけではきっと満足していないだろうと買ってくれたものだった。実際、その通りで、薫は大喜びだった。

それらを持って園内をうろつき回り、どこか絵を描くのに気に入った場所を見つけるとそこで描き始める。今日もそうだった。

薫の絵は油彩画で、純の絵は水彩画だった。油彩画の薫は普通にキャンバスを下地にしていたが、水彩画の純は画用紙ではなく、水彩画用のキャンバスを下地に使っていた。

油彩は匂いがするので、薫はわざと純の近くで描かなかった。が、たとえ匂いがしなくても、何かの気恥ずしさから純の近くで描く気は起こらなかった。

雨の日――。

雨の日でも薫はときどきこの園に来ていた。

やはり純は屋根の下でひたすらデッサンをしていた。かなり上手になっていたが、本人は全然納得がいかないらしく、必死に画用紙に向かっていた。それは薫のデッサンが純より上手であることが原因で間違いなかった。

薫は純より少し離れたところでデッサンをしていた。そこから目に入る物はほとんど全て描きつくしていたが、習慣からかまだ続けていた。

そして時々不思議に思うことがあった。園内に人が少ないときに場所を使って絵を描いているのを注意されないのは分かるが、たまたま人が多い雨の日のときにもなぜか注意されないのだ。それも園の人が見て見ぬふりをしているわけではなく、さもそれが当然であるかのような態度だった。そこまで広くない屋根の下、それも雨の日にデッサンをするなんて真似を他の人がするわけもないので、問題は特になさそうに思えた。

どれくらい前だったか、そのことを純に聞いたことがあったが、純は呑気な回答で済ませるだけだった。薫も薫で特に気にしていなかった。

そんなある晴れた日。薫はいつも通り園内で一人、油彩画を描いていた。

と、近くを通りかかった人がゴミを捨てる場所が近くに見当たらなくって困っていた。薫は近くのゴミ箱を教えてあげたが、この辺りにももう一個くらいあってもいいんじゃないかと自分でも思った。

雨の日――。

薫はデッサンしながら純に向かってゴミ箱が少ないと愚痴みたいにいってやった。純は聞いてないような顔をして、黙って聞いていた。

一週間もしないうちに園内のゴミ箱が増えていた。





薫が高校生の頃――。

ある晴れた日。薫は、自分のキャンバスを手にいつもの園、いつもの場所に来ていた。純もいつものその場所にいた。

しかし、いつもと違うところがあった。

純のそばには、今までに描いた絵がずらりと並べられており、近くに『ご自由にお持ち帰り下さい』の紙が貼ってあった。

「これ何? どうしたの?」

「ああ、これ? 部屋に置き切れなくなったから、欲しい人にやろうと思ってね」

確かにこれまで描いたキャンバスの枚数を考えると一部屋二部屋に収まりそうにない。

「出来のいいやつはきちんと取ってあるし、それ以外なら人にやってもいいかと思ってね」

「そうなんだ……」

薫はそこで不思議に感じた。今の今まで絵描きで生計を立ててきたのだと思い込んでいたのだが、描いた絵をタダで人にやるというのだから、普段は他のことをしていないとおかしい。けれど、純はずっとここで絵を描いてばかりだった。

「絵ばかり描いてるけど、仕事とか大丈夫なの? それとも夜に何か働いているの?」

純は今まで何度もしてきたように軽くうなずくくらいで、何も答えようとしなかった。

薫はそんな純を当たり前のように思い、問い詰めようともしなかった。自分のキャンバスをひょいと担ぐと、描くのに良い場所を探して園内を歩き始めた。





薫が大学生の頃――。

薫が美術大学へ入学した頃、純の絵はかなり上達していた。といっても薫が中学生くらいの頃の絵に及ぶか及ばないかくらいだった。

純の顔には皺がいくつか出てきて、白髪も何本かの線として現れていた。それでもキャンバスに向ける視線は小学生の頃に見ていたあのときと同じだった。

薫はまわりの男とは恋愛を全くせずに過ごしていた。それでいて生き生きしていているので、ますます周りは魅了されていくばかりだった。

薫は休日にこの園に来ては絵を描いていた。この頃には既に園内で絵を描くときにはなるべく純の近くで描くようにしていたし、雨の日には純と一緒にデッサンを描くようにしていた。そして、絵を描いていないときもなるべく純のそばにいるようにした。年の差を意識していないことも普段の会話にそっとまぜて純に話していた。平日の夜はアルバイトでひらすらお金を稼いで、なるべく使わずに貯めるだけ貯めた。

純もそんな薫に気付いていたらしかった。けれども、何も切り出そうともせず、一日一日が流れ去っていった。

純の様子には大した違いはなかったが、周りにはちょっとした違いがあった。純が持ってきていた大量の絵がなくなっていたことと、薫が園内の売店に入ったときの店員の様子がいつも慌ただしくなっていたことだった。

それらを除くと特に何の変化もなく、一ヶ月が過ぎ、一年が過ぎ、そして薫の卒業がもうすぐそこまで近づいてきた。

薫はデザイン会社に就職することが決まり、将来の心配がひとまずなくなった。

そしてある晴れた日、薫は純がキャンパスに描いているのをはたで見ながら、このことを純に話した。

純は将来まともな道に進む薫を見て、今までにないほどの安堵の表情が顔に浮かんだ。その表情には羨ましさや嫉妬の感じは一切なかった。

その表情を見た薫は迷っていられなかった。

とっさに将来の話を純に持ちかける――。

純は薫の話を途中まで聞いて、そして薫の真剣な気持ちをその瞳からすっかり悟ったようだった。薫の話を途中で切って、純は自分のことを話し始めた。

純は深呼吸して一拍空けると話し始めた。

「僕にも昔、恋人がいたんだ」

薫は初めて聞く話だった。じっと耳を傾ける。

「薫がここへ来る前のことさ。僕がまだ二十代だったときのこと。会社で働き始めてしばらくするまでは上手くいってたんだ」

純は遠く上の空を眺めた。

「ある日ね、周りの人がやってるからって僕も株をやってみたんだ。すると、持ってた株がどんどん値上がりしちゃってね。しばらくしないうちに大金持ちさ。そして彼女は花が好きで、特になばなが大好きだった。だから僕はそんな彼女に喜んでもらおうと、なばなばかりのこの園を作ったんだ」

ひと息いれて、いい放った。

「僕はここのオーナーだよ」

純は園全体を見渡した。薫もそれにつられて視線を動かす。純が絵を描いていても誰も何もいわないはずだった。雨の日にあまり広くない場所でデッサンしていたのに、何もいわれなかった本当の理由が分かった。ただ、純がなにか特別であることは感付いていたので、あまり驚かなかった。

「彼女は喜んでくれたさ。そして彼女との思い出の場所はここだよ。ここで一晩中立ってなばなを眺めてたんだ」

純が絵を描いているこの場所だった。

純はそれから重いため息をはいて、続けた。

「それで終わっていれば良かったんだ。欲張ったばかりに投資に夢中になって、そして上手くいきすぎて大金持ちから超大金持ちになって、もう完全に浮かれていたんだ。彼女は抑えていたらしいんだけど、それでもだんだん金に目がくらむようになってしまって、そんな彼女に魅力を完全になくしてしまったんだ」

純は許しを請うような目で天を仰ぎ見ると、そのまま天に向かってこういった。

「……そして、別れた」

それから視線を元に戻すと堰を切ったように、こう付け加える。

「そもそも僕が欲をかいたのが間違いだったんだけどね。もしかしたら、そんな僕を見て彼女は嫌に思ったのかもしれない。今さらながら思い返すと、別れるとき、なんだか悲しそうだった」

純はもう一度天を仰ぎ見た。

「その日以来、何もかもやる気をなくしてそしてずっとこの場所にいるんだ。お金の心配を全然しなくていいのは何かの呪いだよ。近づいてくる人や女がお金目当てに見えて仕方なかったんだ。だからもう何をしたらいいか分からなかったし、だからといってこの場所は離れたくない。そして僕は絵を描くことでここにいられる理由を無理やり作ったんだ。絵を描き始めて何ヶ月かしたくらいに、薫、きみがやって来た」

そういわれて、薫はふと描きかけのキャンバスを見た。あの頃にあったなばなの群生のずれていた部分が、今ではすっかりなくなっていた。思い出として心に残っていたあの頃の絵を、今さらながら懐かしく思った。

「薫が小学生や中学生だった頃は何も思わなかったよ。ところが高校に入ったときくらいからか、まともに恋人ができないことを心配しててね。僕じゃ年の差離れすぎているし……」

年の差を気にしていないことは何度か純に話していたので、なんだか言い訳みたいに聞こえて仕方がなかった。それを察してか、純はすぐに話を続けた。

「大学、それも美大に入ったのだから、今度こそまともな恋人ができるとばかり思っていたら、全然できやしない。そうしている間に就職先も見つかって、これでもう……」

純はこのあと何を話していいのか分からなくなり、言葉に詰まった。

「これで、何?」薫は純の瞳を見つめながら促した。

「これで……。これで将来安泰なんじゃないかと……」

「でもね、高校に入ったあたりからずっと欲しかったもの、まだなの」

薫は強気にそういうと、純をじっと見つめた。

純は思わず顔をそむけた。

「……。僕はダメだ。近づいてくる人を疑ってしまってるような人間だし、何より薫より絵は下手だし、才能だってない。全然釣り合わない」

純はそういうと、描きかけのキャンバスに視線を逃がした。

薫は純が口でいったことと心の中で思っていることがまるで違っていることを察した。キャンバスを見ているその弱々しい目がそういっている。

「あのね、絵ってね、上手い下手以前に描き手の気持ちを表しているものなの。上手いだけの絵ってそれこそ沢山あるのよ。魅力ある絵には上手い下手なんて関係ないもの」

純はじっと聞いている。それでも上手下手の変なこだわりを捨てきれないようだった。

薫は真っ新(まっさら)なキャンバスがあるのを見つけると、こういった。

「ねえ、それじゃあ私も水彩画描いていい? 水彩画は私下手だから、これならいいでしょ?」

薫がいつも油彩画を描いていたのを知っていた純は少し驚いたが、薫の瞳を見ると頷くしかなかった。

「純の隣で描いていい?」

純は「……ああ」と気恥ずかしげな返事をして、それから道具を貸さないといけないと思い、筆をもう一本用意した。

予備のパレットを取り出そうとしていたところ、薫は折りたたみイスを純の隣に音を立ててどんと降ろすと、掛けてあったキャンバスを丁寧にけれども荒々しくどかして真っ新なものへと取り換えた。

純は薫がそのまま楽しそうにイスに座るのを見ながらぽかんとしていた。そんな純を横目にキャンパスの方を見ながら楽しそうな声で薫はいった。

「私、右半分描くから、左半分お願いね――」



――。

私は店員さんの話にすっかり夢中になっていた。たまにお客さんが店の中に入って来たが、別の店員さんが隣のレジで対応してくれていたので、気にならなかった。

娘はお話を聞いた後、あの絵をもう一度眺めた。右半分と左半分で描き手が違う、あの絵だ。よく見ると、絵の右下と左下に絵描きのサインが小さく入っているのが分かる。

娘は満足すると、今度は店の外へと出ていった。娘のことだから、きっと絵描きのいた場所を探しに行ったのだろう。

私は話の中で気になったところがあったので、店員さんに聞いてみた。かつて純さんが付き合っていた人は他の人と結婚したらしいこと、園内にゴミ箱が増えたのはオーナーである彼の計らいだったこと。

それから薫さんに結婚指輪をプレゼントした際は、持っていた資産からではなく、自分で描いた絵を売ってそれで貯めたお金で買ったことも聞いた。薫さんが大学生の頃からそれをやっていたらしく、薫さんが店の中に入ってくると、店員さんが慌てて値札付きの絵をカーテンで隠していたみたいだった。ただ、そこまでやっても結婚の話を出すには相当勇気がいったらしかった。

そして、そんな彼がいつも絵を描いている場所も教えてもらった。

「ああ、それならほら、この店を出て右へ向かって行った先さ。やたらひらけた場所があるから、そこの一番見晴らしが良い場所だよ――」

その頃――。

店を出ていた娘は、ちょうど私が案内されたその場所に来ていた。店員さんの話を聞いてその場所を探しに行ってたのだが、店から案外近いところにあった。遠く一面に咲くなばなを一望できる絶景の場所で、その見晴らしの一番いいところにおばあさんが一人、キャンバスに向かって絵を描いていた。

近づいてみると、おばあさんはにっこり挨拶をしてくれたので、娘も元気よく返事した。

おばあさんが向かっているキャンバスは店の中あったものより一回りも二回りも小さく、完全に一人用だった。そして、おばあさんのすぐそばには使われていないイスが置いてあった。色あせがひどく、それからイスの下には日陰に咲いてそうな植物がびっしり生えていた。何年か何十年かそこにあったかのようだ。

娘はおばあさんに尋ねた。

「ねー、おばあさんて一人なの?」

おばあさんは描く手を休めることなく答えた。

「ちがうわ。いつも隣にいるもの」

「それって、ここでいっつも絵を描いてた人のこと? さっきお店の人に聞いたんだー」

そのことを聞いたおばあさんの笑顔は、なんだかちょっと暖かかった。

「ええ。そうよ」

「その人って、毎日いっつも描いてたんでしょ?」

おばあさんはちょっとだけ考える仕草をしたあと、こう答えた。

「毎日来て描いてたわ。雨の日はほら、あのお店のちょっと向こう側に屋根がついてるスペースがあるでしょ。そこで描いてたわ」

娘はふーん、と感心したように無邪気な相づちを打った。

「ただね――」

「ただ?」娘は首をかしげる。

「ただ、私が知っている限り、来なかった日が一日だけあるの」

「それってなんかの日?」

おばあさんは描く手を下ろし、イスに全身をもたれかけさせると、目をつむってこう答えた。

「私が出産した日よ――」 

エピローグ



私の旦那は、私が長話をすることに慣れているのか、何をするでもなく、ただただ店の中や店の周りをぶらぶらしていた。

私は店員さんから話を聞き終わったあとも、その店員さんとまだ話を続けていた。

純さんは今どうしているかといった話もした。山原純は寿命で亡くなったらしく、その妻・山原薫がこの園のオーナーを引き継いだという。

「まだあの場所で絵を描いてますよ。今日も来てますから」といって向こうの方を指差す。

その後もいろいろ話をした。そして結婚と子どもの話が出てきたときだった。

「……実は私、その純と薫の息子なんです」

聞くところによると、純と薫の間に生まれた一人息子だそうだ。絵は、幼いころはよく描いてたが、今はもう全然描いていないらしく、最近は園芸に夢中になっているという。

そして、両親がさっきまでの話を何度かしてくれたことがあるらしい。

それで私はさっきまでの話がただの語り草ではなかったと確信することができた。

私はその店員さんに名前も聞いてみた。

「いや、それは少し恥ずかしいので、遠慮しておきます……」

きっと、『菜』の字が入った、愛らしい名前に違いない。そう思った。

(終)
2015/05/14 加筆修正
2017/04/09
Dropbox Publicフォルダー廃止対応
ファイルダウンロード先更新
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[ 2014/09/15 19:00 ] 作品紹介 | TB(0) | CM(0)

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